« 心臓手術・クリントン・ゴルフ | トップページ | 安全保障っていうと防衛力となりますが »

2004年9月 8日 (水)

韓国、核の冬のソナタ(3)

中央日報、政治部・安成奎次長のコラム【噴水台】核のロマン主義を引用すると、
最近、原子力研究所がウラン0.2グラムを抽出したことについて「いよいよ核兵器の製造技術が確保できた」という喜びの見方がある。 韓国としては嬉しいニュースだが、世界が疑惑の視線を送っているというのが問題だ。 ロマンは現実ではないように「核のロマン主義」も、現実では力にならないとのところに悲劇がある。

・・・嬉しいニュースで「ロマン主義」ですか。なら、タイトルにこういうこと書いてもいいだろう。
しかし、その昔日本で「中国の核はきれいな核」なんて言ってた連中よりは、よほどましだ。
他国の核にきれいな核などない。「自国の核はきれいな核」というのが当たり前のことなのだ。

以前のエントリーで洒落にならない、NPT体制守るためには日本並みのIAEAでの信頼性を各国が獲得するべきだと言うことを記した。
が、逆を言えば、はっきり言ってNPT体制なんかが吹き飛んでしまえば、日本だって核兵器持たなきゃ自国の安全保障のみならず、国際的な発言力を保つことなどできない。「自国の核がきれい核」なんてもんにこれ以上囲まれてなお持たないというのは、韓流に取り残されて「時代遅れ」といわれるようなもんだ。

朝鮮日報の「韓国のウラン濃縮は東アジアの軍拡競争誘発」という記事を引用すると、「韓国のウラン濃縮事件は、東アジアで軍拡競争の懸念を再燃させ、国際原子力機関(IAEA)と米政府に、核拡散を防止するために、さらに厳しい安全装置が必要になるということを喚起させたとファイナンシャルタイムズ(FT)紙が6日の社説を通じ指摘した。」とある

そりゃそうだろう。日本にだって核を持つという考え方はある。そうしたロマンよりも、日本では核を持たないロマンの方が強いだけの話だ。はっきりいって核を持つというロマンはあれど、そのなかでも消極的に持たざる終えないというものがあるくらいに。
核持つなんてコストを払いたくないこそ、日本のNPT体制への取り組みは熱心だった。コスト計算以上に被爆国としての歴史的なロマン(大義)もあってそうさせてきた、という考え方もあるが、その割には、TVじゃやんないし非核団体もあまり声を上げないってことはやっぱ大義というよりは単なるロマンだったのだろうか。

まぁコスト計算の問題で核を持っていないのか、それとも被爆国としての立場かはどうでもいい。
六カ国協議のみならず、ウラン濃縮「韓国は民生目的でない」…イラン外相顧問(読売)なんていうところにまで波及しているというこの核問題と、北朝鮮の会社、青酸ソーダ輸入を計画…タイ当局阻止(読売)にあるような韓国のメーカーからバンコクの化学会社。そこから北朝鮮へサリンの原料になる青酸ソーダが大量に渡りそうになるという流れ等に見られる(日本でも日本製の部品が何らかの経路で云々と問題となっている)流れをどうとめるのかということに、FTが指摘するような国際的な機関の機構強化のために日本も貢献することがまさに求められている。

|

« 心臓手術・クリントン・ゴルフ | トップページ | 安全保障っていうと防衛力となりますが »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/69096/1388609

この記事へのトラックバック一覧です: 韓国、核の冬のソナタ(3):

« 心臓手術・クリントン・ゴルフ | トップページ | 安全保障っていうと防衛力となりますが »