EUの原点 ローマ条約50周年 統合欧州、曲がり角
拡大・深化が足踏み
【パリ=山口昌子】欧州統合の基盤となったローマ条約が調印されてから25日で50周年を迎える。当日は、欧州連合(EU)加盟27カ国の首脳が議長国ドイツの首都ベルリンに一堂に会し、「ローマ条約50周年」に関する宣言を発表するなど、域内人口約5億人に膨れ上がった「拡大欧州」にふさわしい盛大な式典を催す。「統合欧州」を印象付けるため、欧州単一通貨、ユーロの記念硬貨も発行される。だが、統合、拡大の要とされながら暗礁に乗り上げた欧州憲法批准作業が象徴するように、統合の深化や加盟国拡大への懐疑論も噴き出している。統合50歳の節目は期せずして、曲がり角に立つEUを見せ付ける皮肉な結果ともなっている。
「もしEUが存在していなければ、欧州はどうなっていたか」。フランスで今、盛んに議論の対象になっている命題だ。
回答は、「国境で輸送トラックが(税関手続きのため)長蛇の列を作る」「携帯電話が自分の国でしか使えない」「旅の先々で換金する必要がある」「『ポーランドの配管工』(移民労働者)が来ない」などである。
確かに、欧州は単一市場の出現でヒト、モノ、カネ、サービスが自由に行き交うようになった。ユーロはすでに13カ国で使用可能だ。ポーランドなど中・東欧10カ国の加盟で、労働力の往来も一段と活発になっている。
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1957年3月25日、「欧州人の絶え間ないより密接な団結」をうたうローマ条約の調印式に出席したのはフランス、ドイツなど6カ国だった。
これに先立つ50年5月9日には、時の仏外相、ロベール・シューマンが「無駄な言葉は論外だ。行動、果敢なる行動だ」と、6カ国に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立を呼びかけている。
シューマンが感化を受けた仏実業家で欧州統合の提唱者、モネは、第二次大戦の戦火のつめあと深い欧州の復興には、敗戦国ドイツの参加が不可欠だと考えた。そして、この戦争の道具だった仏独の石炭、鉄鋼を共同管理下に置くという発想の根底には、欧州を再び戦火にさらさないとの強い政治的意思が込められていた。2人が「欧州統合の父」と呼ばれるゆえんだ。
ECSCの中核を成した仏独両国は当然、ローマ条約で誕生した欧州経済共同体(EEC)を、欧州共同体(EC)、そしてEUへと発展させていく牽引車となった。ベルギーのブリュッセルに本部を置いたのは、小国で影響力や野心が少ないとの判断からだった。
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そのブリュッセルはしかし、今や、人口100万のうち30%をEU関係者など外国人が占める「欧州の首都」へと変貌(へんぼう)し、そこから発されるEU規定が加盟国の国内法に優先する割合が増えている。
加盟国間の対立や摩擦も生じ、共通農業政策をめぐる英仏対立は年中行事だ。共通外交・安全保障政策での域内不一致もイラク戦争への対応などに端的に表れている。
「ブリュッセル」に対する不平、不満、不安が表出したのが、フランスとオランダという2つの原加盟国での欧州憲法批准の否決だっただろう。
サルコジ内相、ロワイヤル元環境相という次期仏大統領選の有力候補による欧州中央銀行(ECB)批判も、「すべての不幸はブリュッセルからやってくる」といった国民感情を反映している。
トルコの加盟問題への反対が加盟国の草の根レベルで根強いのは、欧州大陸にもキリスト教文化にも属していない同国の加盟でこれ以上の混乱を招きたくないとの危機本能からでもありそうだ。
ユーロは米ドルと肩を並べるようになったが、加盟国の約半数の14カ国がまだ導入していない。拡大で導入条件を満たさない国が増える一方、英国のように国家主権を侵害されたくないとの意識が強い国もあるからだ。
ルクセンブルクのユンケル首相が「域内住民の50%がもっと欧州を、と望み、50%がもうたくさん、と考えているところに問題がある」と指摘しているように、欧州は拡大へ、深化へとひた走り続けた後で足踏み状態に陥っているようにみえる。(2007/03/24 01:42)
(引用終わり)
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